プロフィール

希望に満ち溢れた幸せな日々

幼少期、私は海の見えるどかな町のごく普通の家庭に育ちました。 窓から見える穏やかな海は、 いつも私に安らぎを与えてくれました。 夕暮れ時、オレンジ色に染まる海面を眺めながら   「いつか遠くへ行きたい」と夢を見たあの日々が懐かしく思い出されます。

両親は共働きでしたが、家族の時間を大切にしてくれる温かい家庭でした。 特に日曜日の朝は、母の作る甘いホットケーキの香りで目が覚めますのが何よりの幸せでした。 父は週末になると私を車に乗せ、楽しい場所に連れていってくれました。

両親の期待に応えたい一心で

しかし、そんな幸せな記憶の向こうで、私はいつも両親に愛されて「いい子」に振る舞うことで必死でした。 テストで95点取った日、友達の多くが「すごいね!」って言ってくれる中、帰宅して両親に見せた時の期待に満ちた顔が今でも忘れられません。 勉強や習い事も両親の期待通りにし、褒められるために必死でした。ピアノの発表会前には毎晩遅くまで練習し、「お父さんとお母さんが喜んでくれるから」と自分に 言い聞かせながら、指先が痛くて痛くても弾き続けました。   

徐々に私の心を蝕みはじめた

しかし、どんなに頑張っても「もっとできるでしょ?」「なんでそんなこともできないの?」   「それくらいできて当たり前でしょ?」それらの言葉が徐々に呪いのように心に刻まれていきました。                                          両親の高校に期待する進学校に入るために朝4起き、夜11時まで黙々と勉強する日々。                                           中学2年の冬、数学のテスト結果が80点を下回った日のことは鮮明に覚えています。       心臓が高鳴り、手には汗。震える手で答案用紙を両親に見せると、表情が急変し、落胆のため息。     その夜、布団の中で声を殺して泣きながら「もっとがんばらなきゃ、もっとがんばらなきゃ」と 何度も繰り返していました。 悔しさと恐怖が入り混じった涙で 枕を濡らし続けました。

上司の執拗なパワハラで不安と恐怖の日々

新卒で入社した会社では、最初はやりがいを感じていました。 でも、それはすぐに崩れてしまいました。直属の上司は、私に対して厳しく当たる人で些細なミスでも人前で怒鳴られ、何時間も説教を受けることも。初めて自分の企画をプレゼンテーションした時、上司から「なぜそんな簡単なことも理解できないんだ!」と100人近い社員がいる会議室で叱責された時、頭が真っ白になり、  立っていることさえできませんでした。                                    それでも、「頑張れば必ず評価される」「認められなければいけない」と、歯を食いしばりながら 頑張っても、「お前は使えない」と言われ続ける日々。 会社の帰り道、雨の中をひとりで歩きながら、涙と雨が顔に流れ落ち、違いがつかなくなる夜が何度もありました。ついには終電電車の中で、突然息ができなくなり、駅のホームで倒れこんだこともありました。

理想の家庭とはかけ離れた不安な日々

結婚後、「幸せな家庭を築かないと」「父親らしく立派に振る舞わないといけない」と社会的に認められなければならないという意識が強く。 子どもが生まれた喜びも束の間、「良い父親になれるだろうか」という不安が常についていました。

徐々にパートナーとの価値観の違いが浮き上がりました。仕事の忙しさ、家事や育児の負担、  会話の減少・・・。子どもの運動会で他の家族が楽しそうに弁当を広げながら過ごしているなか、私たちは無言で座っていました。その沈黙の重さが胸に刺さりました。

気づけば、「なぜ私だけ頑張らなくてはいけないの?」「なぜわかってくれないの?」という不満が募るばかりでした。ある夜、子どもが寝た後のリビングで、私は無意識に声を荒げてしまいました。

ひとりでもがき苦しむも傷つきボロボロに

ついに、自分の意思がなくなり、無気力になりました。 朝、目覚ましの鳴ると、体に鉛が入ったように重く、立ち上がる気力すら湧きませんでした。 職場のデスクで突然、視界が狭くなり、パニック発作に襲われることも増えました。

何のために生きているのか、自分が何をしたいのかがわからず、結局は不安うつ状態に。 子どもの笑顔を見ても心から喜べず、「こんな親の元に生まれてきてごめんね」と心の中で謝る日々。

精神科の受診後も、「これではいけない」と思い、ありとあらゆる書籍・啓発セミナーなどに多くの時間と金額を費やしました。「ポジティブに生きよう」と自分に言い聞かせながら、笑顔の練習をする姿を鏡で見た時、その空虚さに愕然としました。

しかし、心は救われず、症状は改善しませんでした。 絶望感に襲われ、布団から出ることさえ辛い日々が続きました。 ある朝、子どもが「お父さん、起きて」と私の頬に触れた時、対応されない自分に深い自己悪を感じました。

心の仕組みを知ることで幸福感を感じられる本来の自分に

こんな状況を不憫に思った友人からある心理カウンセラーを紹介してもらいました。初めてカウンセリングルームに入った日、窓から差し込む柔らかな光と観葉植物の緑に、なんとなく心が安らぎました。

最初は「こんなことでは改善はしない」と思っていましたが、カウンセリングの中で     「あなたの価値は、他人の期待ではなく自分が決めるもの」「本当のあなたはどうしたいですか?」という言葉に「はっ!」と気付いて、とめどなく涙が流れてきたのを覚えています。

「自分が決める」という当たり前の言葉が、私には革命的でした。 カウンセラーと過去を振り返る中で、私は常に誰かの顔色を窺い、期待して待つことだけを生きがいにしてことに気づきました。

ある日のセッションで、カウンセラーに「あなたが一番好きな色は何ですか?」と聞かれ、答えられなかった時の衝撃は今でも忘れられません。そんな簡単な質問にも答えられない自分に愕然としました。「考えたこともなかった」という私の言葉に、カウンセラーは静かに微笑み、「では、これから探してみましょう」と言われました。                         好きな食べ物、心地よいと感じる場所、リラックスできる音楽・・・日常生活にある細やかなことから自分の「好き」を見つけました。 子どもと一緒に山を散歩しながら見つけたドングリを集めたこと、絵を描く時間が楽しくて素直に感じられたようになったこと。

私は誰かに認められるために生きていた。でも、これからは「私のために生きよう」と少しずつ思えるようになったのです。朝、鏡を見たとき、初めて自分の目を見つめることができ、「おはよう、よく頑張ってるね」と自分に声をかける習慣をつけました。

ある夜、勇気を出して「実はずっと怖かったんだ」と正直な気持ちを伝え、パートナーも同じように不安を抱えていたことを冷静に話し合えたとき、「このパートナーと結婚して本当に幸せ」と感じました。

そして、相手を理解して、自分の気持ちを素直に伝えることを意識するようになったのです。   子どもと公園で遊んでいる時、「これ、面白いね」と心から言えた日の喜びは、これまでの人生でどんなに成功したことよりも大きく感じました。

今では、「自分らしく生きている」と実感しています。 まだまだ完璧ではないけど、自分のペースで少しずつ、自分の人生を自分の意志で歩み始めた—そう実感できる日々は、何物にも代えがたい宝物です。